2019年10月25日
Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accidentのドラフトに対するコメント
福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)
総論
福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(略称:SAFLAN)は、福島第一原子力発電所事故(以下「福島原発事故」)、政府指示による避難区域の外側に、住み続けた人、避難した人、避難したけれど戻った人を支援することを目的とした法律家のネットワークであり、政府指示による避難と比較して、区域外避難への支援が遅れていることを懸念した東京や福島の子育て世代の弁護士を中心に、原発事故後の2011年7月に結成された。
ICRPによるRadiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accidentのドラフト(以下「ドラフト」)は、その目的として、チェルノブイリ原発事故および福島原発事故の経験に基づき、大規模な原発事故における人々の保護についての枠組みを提供することにあると述べる(para.5)。したがって、その勧告は、福島事故後における放射線防護に関する政府の対応について、十分な分析が行われ、問題点があるのであれば、それが反映されていなければならない。しかしドラフトは、総じて、福島原発事故後の放射線防護に関する日本政府の対応に関する分析が不足しており、特に以下の点について十分な分析と記載がない。
・日本政府によるICRP勧告の実施が極めて不十分であったこと、特に現存被ばく状況・参考レベルの考え方が採用されていないこと。
・放射線防護に関する法的枠組み、特に事故後である2012年6月に制定された「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」(子ども・被災者支援法)の内容とその実施の欠如。
・避難指示によらない避難の実行とこれら避難者に対する支援のあり方。
・原発事故直後の初期モニタリングの問題点と、その後の健康管理の不十分さ。
ICRPは、改めて福島原発事故による教訓を分析・検討した上で、新たな勧告に反映させるべきである。
参考レベル
ドラフトは、現行のパブリケーション103、109および111に基づく参考レベルについて、以下の変更を行うことを提案している(para.226)。(1) 緊急時被ばく状況について、20mSv〜100mSvのバンドから選択することとされていたが、ドラフトは、100mSv以下とするよう勧告し、下限値への言及を取り除いた。(2) 現存被ばく状況について、年間1mSv〜20mSvのバンドから選択することとされていたが、ドラフトは、年間10mSv以下とし、長期的に1mSvまで減少させることを目的とすると勧告している。他方、パブリケーション111における「バンドの下方部分から選択すべき」、「代表的な値が1mSv/年である」との記載は、ドラフトにはない。
日本政府は、福島原発事故後、ICRPの参考レベルに関する考え方を明示的には採用していない。原子力安全委員会は、その専門的な知見に基づき、原子力災害対策特別措置法上、原子力災害への対応に責任を有する原子力災害対策本部(以下「原災本部」)に対して、2011年5月19日付け、同年7月19日付け、同年8月4日付けでそれぞれ意見を述べ、ICRPの勧告を紹介しその採用を促した。しかし原災本部は、これら意見を十分に取り入れることなく、同年12月26日、避難指示の解除基準を年間20mSvとする方針を発表した。日本政府は、この年間20mSvという数値について、緊急時被ばく状況におけるバンドの下限値であると説明し、現存被ばく状況における参考レベルを明示的に設定することを避けた。年間1mSvという値は、被ばく低減の目標ではなく、「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」に基づく除染の基本方針において、期限を定めない「長期的な目標」として掲げられたに過ぎない。また「状況を徐々に改善するため」の「中間的な参考レベル」(パブリケーション111、para.50)も採用されなかった。これら政策の結果、年間20mSvまでの被ばくは長らく許容され、被災者の被ばくの増大をもたらしてきた。
ICRPによる新たな参考レベルの勧告にあたっては日本政府による既存のICRP勧告の不実施と、それがもたらした被ばくの増大について、その原因を分析し、これが勧告に反映されるべきである。
私たちは、緊急被ばく状況における参考レベルの下限値の撤廃を歓迎する。同時に、これが、20mSvを下回る下限値の設定を推奨するものであることについて、より強調されるべきである。また私たちは、現存被ばく状況において、参考レベルの上限を年間10mSvに引き下げることにも賛成する。同時に、年間10mSvの被ばくを10年間続ければ、被ばく量は100mSvに達することも考慮されるべきである。パブリケーション111における、バンドの下方部分から選択すべきとの文言を維持すべきである。また、年間1mSvを下回る状況への移行は、「長期的」といった曖昧な期間ではなく、具体的な年限を区切ってなされるべきである。これらを検討する際、推定被ばく量が年間1mSvを超える地域について、被災地と認め移住の権利を認めたいわゆるチェルノブイリ法が、「1986年生まれの子どもたちに生涯で70mSvを超える被ばくをさせない」という政府決議に基づき制定されたことが参照されるべきである。
意思決定への参加
ドラフトは、従前の勧告に引き続き、放射線防護に関するプロセスに、ステークホルダーを関係させることの重要性を強調し、また被災者の選択の自律性と個々の決定の尊重を強調する(para.227)。私たちは、意思決定への被災者の参加の重要性に関するICRPの勧告を歓迎する。
他方、福島原発事故後の放射線防護策の立案・実施におけるステークホルダーの参加について、ドラフトはほとんど言及していない。わずかに、ICRPによるダイアローグと、いわき市末続の住民による自発的な取り組みに触れているだけである(para.B36-39)。しかし、これらは、多数の住民に多大な影響を与える政府の意思決定に関して被災者が関与するものではない。実際には、日本政府と地方自治体は、避難指示解除基準の設定、個別の避難解除の決定、住宅支援の打ち切り、除染計画の策定、健康調査の内容と範囲の決定といった放射線防護に関する重大な決定のほとんどを、被災者の参加・関与を得ることなく一方的に行ってきた。参加の機会があるとしても、ほとんどが「説明会」であり、被災者の意見が実際に政府の施策に反映されたことを確認するための説明責任のメカニズムは存在してこなかった。子ども・被災者支援法は、居住継続者や避難者への生活・健康支援施策の内容について被災者の意見が反映されるための措置を講じることを明文で定めているにもかかわらず、被災者の意見を反映するための体系的な手段は何ら執られてこなかった。
新たな勧告は、福島原発事故後の放射線防護の政策立案およびその実施における被災者の参加の不足について、事実関係について十分な調査を行い、その原因を分析するべきである。こうした調査と分析なしに被災者の関与の重要性を強調しても、勧告の将来における実施は期待できない。
原発事故の被災者への影響
福島原発事故後、政府は年間20mSvを基準として避難指示を出したが、避難指示区域外からも、多くの住民が、被ばくを軽減するために避難(ドラフトでいう一時的移住)を実行し、今なお避難を継続している者も多い。ドラフトの福島原発事故に関する記述は、政府の避難指示のない地域から住民が避難した事実や、これに対する日本政府・自治体の支援の問題点に関する記載を欠いている。
「学校における子どもの被ばく線量を1mSvに低減するよう通知」(B8)された結果、市町村によっては子どもの外遊び時間の制限(2歳まで1日15分、幼児30分、小学生3時間等)が1年間以上あった。被災地における子どもの活動の制限について記載すべきである。
「地元で除染作業を行った地域住民やボランティアについても、政府が定めた除染等業務に従事する労働者のためのガイドラインの該当項目を遵守するよう求められた」(B27)とあるが、2011年12月14日の除染ガイドライン策定の前に、各地で「住民除染」が無防備なまま行われていた(例:郡山市2011年6月広報/PTAによる学校除染5月11日)。こういった無防備な除染による被ばくの増大も、住民の不安を高め、避難を決めた要因となっており、かかる事実も記載すべきである。
2011年3月17日以前には、食品の流通・消費が規制されておらず、これら情報が消費者に伝わる前に、震災の影響により流通網が麻痺する中、放射性物質で汚染された食品を摂取することにより相当の内部被ばくが発生した可能性が存在する。ドラフトは、事故後相当期間を経過した後の食品管理についてのみ述べているが(B33)、事故直後の食品の汚染と摂取の可能性について言及するべきである。
ドラフトは、「福島の事故の場合、外部被ばくが被災地の人々の主な被ばく経路だった」(B34)と断定している。しかし、上記のとおり、事故直後の時期は、食品経由の内部被ばくはまったくコントロールされておらず、また20111年3月中には、放射性プルームの通過中に呼気を通じて大量の内部被ばくが生じた可能性がある。しかし、これら事象による被ばくについては、後述のとおり、初期被ばくのモニタリングが十分になされなかったため、十分な情報が残っていない。したがって、上記の記述は訂正すべきである。
ドラフトは、「2017年3月までに、帰還困難区域を除く全域の除染が完了した」(B35)と述べる。しかし、面的除染はおこなわれたものの、山林は除染されておらず、局所的なホットスポットも残存し、地方自治体によるフォローアップ除染も引き続き行われている。したがって、上記の記述は訂正すべきである。
「被災地に止まるか帰還するかといった問題」(B37)という問題設定が、「避難を継続するか否か」に悩む人々を不可視化しており、ANNEX B全体を通して、避難者の現状とこれに対する政府の対応の検討が欠けている。なお、「多くの地域住民が自発的に防護活動を実践する」の「多く」が曖昧であり、おおまかなでも人数の記載をすべきである。
日本政府は、子ども・被災者支援法を制定し、政府による避難指示がなかった地域においても、避難する人、被災地に止まる人、帰還する人の三者に対し、政府により支援が行われることが定められた。しかし、三者に対する十分な支援制度は作られず、賠償もごく少額であり、わずかな支援制度も打ち切られ、特に避難者は、住まいも奪われ、長期化する避難生活の経済的負担から、生活困窮に陥る人も増えている。これら法律の制定と実施状況について記載すべきである。
福島の経験から、ドラフトで想定している「避難」区域や「屋内避難」区域のはるか外側にも原発事故の被災者が発生する事実が強調されるべきである。それを前提に、「避難」「屋内退避」が指示される区域の外側にある被害地域(一般公衆の被ばく限度1mSv以上の地域)を明記し、その地域にも「避難」「居住」「帰還」を自らが選択でき、それぞれの支援が可能となるよう勧告するべきである。
ドラフトは、長期化する避難を「一時的移住(para.125, 135)」あるいは「恒久的移住(para.156)」としている。「被災地にとどまるか離れるかについてのすべての決定は、当局によって尊重され、支援されるべき」(para.158)とあるように、避難期間は、避難当事者が意思決定するものという前提をふまえた勧告が必要である。具体的には、「避難地域への帰還に関する複雑な意思決定プロセスに密着に関与すべき」(para.126)とあるが、帰還だけではなく、「避難の継続」に対しても関与が必要であり、また、「意思決定」だけではなく「生活再建」への具体的関与も必要であると明記すべきである。また、「帰還の不安」(para.137)が書かれているものの、それに対する具体的な解決策の記載がない。帰還を不安視し、帰還をしないと決め、避難を継続する人々に対する国の支援・賠償の必要性などを明記すべきである。「被災地にとどまるか離れるかについてのすべての決定は、当局によって尊重され、支援されるべきであり、また、自宅に戻ることを望まないか許可されていない人々の再定住のための戦略が策定されるべきである」(para.158)と重要な指摘があるが、日本において、それが十分に行われていないことを鑑み、より具体的な記載をすべきである。例えば、生活再建に十分な賠償が必要であることや、あるいは具体的支援制度(経済的負担の大きい住宅の確保、就学や医療福祉への支援、生活再建に必要な仕事の斡旋)などが挙げられる。そして、それが、長期に及ぶことも明記すべきである。
初期被ばく量モニタリング
福島原発事故後、政府は初期モニタリングに失敗し、被ばく状況がわからなくなった住民が多数いる。それにもかかわらず、ドラフトは、初期モニタリングの失敗原因について何も言及していないうえ、失敗したという事実すら指摘されていない。また福島県で行われている県民健康調査について、ごく一部の情報しか提示していないため、現状を的確に認識することができない。以下に、不十分、あるいは不正確と思われる記述について、個別の事例を記す。
住民の体表面汚染について、「福島県内でスクリーニング調査を実施した。20万人の大半は毎分10万カウント未満だった。この数値を超えた約100名に対しては除染が実施され、除染後の汚染レベルは問題のないレベルにまで低下した」との記述がある(B16)。しかし政府事故調査委員会の報告書では、「福島県は、除染対象者の汚染の程度が1 万3000cpm未満になるまで除染すべきことについて、スクリーニングを実施する保健所等に明確に伝えたわけではなかったため、全てのスクリーニング会場で全対象者が1 万3000cpm未満になるまで除染を行っていたわけではなく、中には10万cpm未満の者に対して何らの除染も行わないこととしていた会場もあった」(政府事故調報告書最終報告書257〜258ページ注釈)と記載されているため、「問題のないレベルにまで低下した」とは言えない。
「20万人の大半は毎分10万カウント未満だった」と記載しているが(B16)、原発事故前のスクリーニングレベルは1万3000cpmだった。それがどのような議論を経て10万cpmに引き上げても問題ないという結論になったのかは、根拠が明らかになっていないため、10万カウント未満だから問題がないとは言えない。政府事故調査報告書最終報告書では、「1 万3,000cpm が全て内部被ばくのヨウ素によるものとすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる小児甲状腺等価線量100mSvに相当する」という原子力安全委員会の見解が示されているほか、原子力規制委員会は当初、1万3000cpmから10万cpmへスクリーニングレベルを引き上げるのは問題があるという考え方を示していた(政府事故調最終報告書258ページ)。引き上げられたのは「現地は、空間線量率が高くスクリーニングが困難な状況」(政府事故調最終報告書258ページ)だからであり、「問題ない」(B16)からではない。
スクリーニングの結果、2011年6月5日までに10万cpm以上が102人、1万3000cpm以上10万cpm未満が900人だったが、これらの人たちの被ばく量は明らかになっていない。
原発事故前の基準であれば安定ヨウ素剤の服用が必要だった可能性のある人たちがいたが、「原災本部や県知事は住民に対して服用指示を適切な時間内に出すことに失敗した」(国会事故調査委員会報告書39ページ)と報告されている。ドラフトではこの失敗に関する記述がなく、過去の経験を反映した勧告になっていない。
以上のことから考えると、初期被ばくの状況は不明であり、「問題ない」(B16)という記述に合理性はない。住民の被ばく状況が把握できなかったにもかかわらず、ドラフトではそのことにまったく触れていないため、福島原発事故の教訓が生かされているとは言えない。ドラフトは、「本勧告は、原子力事故の初期段階における防護措置の正当化の重要性を強調」(para.7)していると説明しているが、福島第一原発事故で初期段階の被ばく状況の把握に失敗した経験に触れず、対策も検討しないままでは、次の原発事故の時に的確な防護措置を実施することはできない。
ドラフトは2011年3月26日から3月30日までの間に川俣町といわき市の小児、1080人に対して行われた甲状腺被ばく調査の結果について、IAEAの「甲状腺の実測値から推計された15歳未満の子どもの個々の等価甲状腺線量分布の(幾何)平均値は、いわき市の子ども134人が3.2 mSv、川俣町の子ども631人が2.2mSv」という推定値を示している(B17)。この1080人の調査結果については、国会事故調査委員会報告書(449ページ)が「原災本部又は福島県は、十分に放射性ヨウ素による内部被ばく検査を実施していないために、住民の放射性ヨウ素による初期の内部被ばくの実態が明らかになっていない」と指摘している。不十分な調査結果だけを採り上げた記述は理解を歪めるおそれがあり、福島原発事故の教訓を反映しているとは言えない。
WHO2012(Preliminary dose estimation - from the nuclear accident after the 2011 Great East Japan Earthquake and Tsunami)では、浪江町の1歳以下の乳幼児の事故後1年の甲状腺被ばくを100〜200mSvと推定しているほか、幅広い年齢層で10〜100mSvの被ばくがあったと推定している。こうした報告例があるにもかかわらず、ANNEX B(B17)で、IAEAの推定値だけを取り上げるのは合理性に欠ける。WHO報告書の見解、予測も含めて記載すべきである。
甲状腺被ばくの調査を1080人しか実施しなかったのは、原子力災害対策本部(政府)が「追跡調査を行うことが、本人家族及び地域社会に多大な不安を与えるおそれがある」という認識をもったためであったほか、福島県も独自調査を実施していた研究者に調査の中止を要請したためだった(国会事故調査委員会報告書449ページ)。これらは調査を中止する理由としては不合理だが、こうした認識が生まれた背景は不明なままであり、その検証がないままでは、今後の原発事故に際して同様の理由で調査が中止されるおそれが否定できない。初期の被ばく状況を把握できる調査を実施するためには、こうした事由の検証が不可欠である。
健康調査
ドラフトは福島県県民健康調査について「外部被ばく線量評価のための基本調査および4つの詳細調査」(B19)としながら、基本調査の結果しか触れていないのは、調査の結果や経緯の説明としては極めて不十分であり、現状の認識を誤るおそれが大きい。まず、同調査における甲状腺検査では、2019年6月30日までに231人の悪性ないし悪性疑いの甲状腺がんが見つかっており、そのうち175人に手術が実施されている。この人数について県民健康調査調査の検討委員会は2019年7月に、2015年までの検査結果をもとに「先行検査における甲状腺がん発見率は、わが国の地域がん登録で把握されている甲状腺 がんの罹患統計などから推計される有病率に比べて、数十倍高かった。本格検査(検査2回目)における甲状腺がん発見率は、先行検査よりもやや低いものの、依然として数十倍高かった」という見解を示している。数十倍高い原因については放射線の影響とは認めていないものの、男女比が既知の臨床の知見とは大きく異なること、地域差があることなど放射線の影響を疑わせる点もあり、結論を出すには至っていない。また、これまで同調査の検討委員会で報告された症例の他に、報告されていない手術症例があることや再発、再手術の事例があることもわかっており、実際の発症数は不明である。また県民健康調査の検討委員会は2016年にとりまとめた報告書の中で、甲状腺がんについて「事故当時5歳以下からの発見はない」ことを理由に挙げて「放射線の影響とは考えにくいと評価」しているが、その後に事故当時4歳の子どもの甲状腺ガンが報告されていることなどから、検討を継続すべき状況にあることは明白である。同調査での報告を検討した「Thyroid Cancer Detection by Ultrasound Among Residents Ages 18 Years and Younger in Fukushima, Japan: 2011 to 2014」(Tsuda, 2015)など、小児甲状腺ガンの多発と放射線影響に相関があることを指摘する論文も発表されているが、こうしたことはドラフトではまったく触れられていない。情報の取捨選択に偏りがあることは明白で、事実に即した多面的な視点を採り入れるべきである。
ドラフトは、同調査での甲状腺ガンは過剰診断が原因の可能性があり「過剰診断に関する問題が生じることが予想される」とする「Togawa, 2018」を例示し、「長期の甲状腺健康調査プログラムは、胎児期あるいは小児期または青年期に甲状腺への吸収線量が100〜500mGyの被ばくをした個人に対してのみ実施されるべき」と結論づけている(para.201)。この勧告内容は、福島県での甲状腺ガンの多発が過剰診断による可能性を強く支持するものだが、県民健康調査で甲状腺検査を実施している福島県立医科大学の鈴木眞一教授は、過剰診断の可能性を否定している。それにもかかわらず、過剰診断の可能性のみを強調するのは、小児甲状腺ガンが多発していることを無視してしまうものであり、事実誤認に基づく勧告と言うほかない。
上記のことを考慮すると、ANNEX Bにおける福島県の県民健康調査についての記述はあまりにも簡略化しすぎており、重要な事実について触れていないため、勧告の内容に重大な誤りを生じさせる可能性がある。
加えて、現状では甲状腺のスクリーニング検査は福島県のみで実施されているが、放射能汚染が福島県以外の広範な地域に広がっていることは明らかであるため、放射線影響の調査、および住民保護のためには、福島県以外の地域での検査も実施すべきであろう。健康影響の調査が福島県に限定して行われているのは極めて不十分、かつ不平等であるのは明らかで、勧告には、このことも含めて記載されるべきであると考える。
日本政府は、子ども・被災者支援法を制定し、同法は、「国は、東京電力原子力事故に係る放射線による被ばくの状況を明らかにするため、被ばく放射線量の推計、被ばく放射線量の評価に有効な検査等による被ばく放射線量の評価その他必要な施策を講ずるものとする」とし、「被災者の定期的な健康診断の実施その他東京電力原子力事故に係る放射線による健康への影響に関する調査について、必要な施策を講ずる」と定めている。この法律の背景には、原発事故により放出された放射性物質が広範囲に拡散したことや、放射性物質による健康影響が「科学的に十分に解明されていないこと」から、「一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者が、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており、その支援の必要性が生じていること及び当該支援に関し特に子どもへの配慮が求められていること」がある。 しかし現状では、子ども・被災者支援法に基づく定期的な健康診断は行われておらず、健康調査の実施は、当時福島県民であった者しか対象とされていない福島県による県民健康調査に委ねられている。ドラフトは、このような現状について検証を行うべきである。
子ども・被災者支援法はまた、被災者たる子どもおよび妊婦の医療費を減免する措置を講じるよう国に義務づけているが、こうした措置はいまだ執られていない。ドラフトは、このような現状についても検証を行うべきである。
以上
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