Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident


Draft document: Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident
Submitted by Fumiaki Toudou, Niigata Nuclear Disaster Prevention Study Group
Commenting as an individual

○全体に対するコメント

勧告案は、放射線防護の原則として、全体として既存のICRPの放射線防護の考え方を踏襲している。しかし、この考え方は、以下の問題点がある。


 まず、ICRPは正当化について規制当局にその判断を委ねる立場をとっており、中でも全体の利益について触れている。一方で各国政府(特に念頭にあるのは日本政府)は、ICRPの防護の考え方をその正当化の根拠に使っており、ICRPと規制当局が相互に相手に責任を負わせる形で放射線防護体制とその考え方を「正当化」する形式となっている。そしてICRPの基準値の考え方から原子力事業のコストが算定され、また、それにより事業の推進が正当化されるという自己循環論理が成立している。

 従って、ICRPは勧告の際に各国政府がICRPの放射線防護の考え方を、その防護政策の原則として参照し、被曝水準を受容するよう誘導している事実を無視すべきではないし、原子エネルギー利用を推進する各国政府から運営費用を拠出されたうえで、原子力発電事業を可能にする科学的権威として利用されている実態を棚上げして、中立な機関のふりをすべきではない。

 その上で、当該勧告案でも維持されている最適化の考え方であるが、この考え方が、LNT説を前提として、被曝による健康影響の閾値がない場合の放射線防護になんらかの「安全」基準を導入するために必要な、費用便益分析上の概念であることを明示すべきである。

 上述したようにICRPの勧告は、各国政府によって被曝水準を被曝者に受容させるための権威として用いられている実態があるが、このとき、各国政府が意図的に誤った理解を促進している。それは、権威ある機関によって、線量基準ないし参考レベル以下の被曝であれば、無害であるとされている、といったものである。LNT説も低線量被曝に関する知見もこのような「閾値あり、一定値以下は無害」といった見解は支持しないが、一旦、線量基準や参考レベルが流布すると、そのように受け止められることを防止する必要がある。

 なぜなら、一定程度まで被曝が無害であるという誤解に基づき、商業原子力発電事業により他の発電事業と比較して顕著な利益を受けていない、あるいは事業者の原子力発電の意思決定に参画していない一般公衆が、被曝による健康被害を蒙るためである。

 実際には、商業原子力発電による事業者の収益や、関連する利益の享受者(最近、日本では関西電力幹部への原子力発電事業の下請け業者からの大規模なキックバックによる利益供与が明らかになった)と、原子力発電による特段の利益を享受しない一般公衆の被曝者との間には、社会的な集団としての乖離、分断がある。ICRPは全体の利益、公益といった概念で、これら利害関係者の分断と、利益を受けるものによる意思決定の独占をごまかすべきではない。


○以下は参考までに、ICRPの考え方、問題点の整理の特色が現れている当該勧告冒頭(2.2.3節)のいくつかの文言について個別にあげる。

2.2.3 (項目30)
 原発事故による事業者から被害者への加害問題を、一般公衆と被災者との問題に矮小化することは、原発事故の汚染実態と責任の所在をあいまいにする、典型的な世論誘導である。一般公衆に被ばくの受容を求めてきた、貴委員会が無責任に発するべき言葉ではない。一般公衆への責任転嫁である。


(35)(36)(37)
 これらの項目は放射線被ばくに対する不安を、リスクに対する正常な反応ではなく、疾病と位置付けることにより、自らの選択によらないリスクに対する疑問、抗議を整理しようとする意図を感じる。病気なのは放射線に対して不安を感じることではなく、特定少数の利益を公益と称して一般公衆への加害とバランスさせようとする、放射線防護体系における論理構造を受け入れる、テクノクラート的メンタリティである。

(43)今までと同じ、防護基準、参考レベルにおける正当化と最適化の考え方を踏襲することを表明しているが、上述の問題点がある。


(48)
 「Publication138に記載されているように、可能な限り害を及ぼすことを回避しつつ(非有害性の原則)、善を行うこと(善行の原則)は倫理的目標の一部である(ICRP、2018)。」
を受けて大きな倫理的判断の一部としているが、核兵器開発から派生した原子エネルギー利用の開発は倫理的懸念を軽視して行われ、今日においても、行政と事業者の癒着関係により、結論ありきの政策を一方的に押しつけているにすぎない。批判受ける当事者コミュニティの一員が自ら倫理を語っているのみである。

(50)
 およそ民主国家において当局の判断、意思決定の淵源は一般公衆である、主権者国民にあるべきであり、ステークホルダーへの参加配慮だけでなく、幅広い異議申し立て、拒否権が必要である。また全体的利益という用語は特定産業の利害関係の構造をごまかすものとなりやすい。原子力事業においては個別の投資家、法人の利益が重視されている現状を踏まえて記載すべきである。


(52)
 社会的混乱を作り出している重要な要因が、ICRP基準を規制当局が一般国民に誤解させて、被ばくを受容させていることである。
貴委員会は原子エネルギー利用の事業の推進により、組織としての利益を得る立場にあり、自らの発信が原因の重要な一部であることを自覚していただきたい。

藤堂史明 (にいがた原子力防災研究会)


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