ICRP勧告パブリックコメント2019
~ 109と111の改定を中心に~
この度は一般人のパブリックコメントを、しかも日本語で受け付けるという機会を与えていただき、感謝いたします。
はじめに
私は福島県福島市に原発事故前から住んでおり、今も住み続けている者です。児童の健康教育や指導・対応にあたる学校教員・養護教諭をしております。
また原発事故当時に0~18歳以下だった子どもを持つ母親でもあります。
伊達市や福島市で開催されたICRPのダイアログセミナーを傍聴したこともあります。
長期汚染影響区域といわれる区域で暮らしていくための知識と対応を身に着け、そこで学んだことを自分や家族も含めここに暮らす人々の放射線防護に役立て、
一日でも早く原発事故前の生活に戻れるように努力してきました。
ICRPダイアログセミナーでは、Jacques Lochard 氏とお話をさせていただきました。
その頃に「私たちは赤ちゃんが産めますか?」「将来大人になったら、がんになりますか?」という子供たちが抱えていた放射線による不安について、彼にお伝えした時に
彼がされた、慈悲深く慈愛に満ちた優しい表情が忘れられません。
原発事故から8年と7か月が過ぎました。発事故直後から現在に至るまでの考えや思いは膨大で上手くお伝えできるか分かりませんが、今回の勧告を読んでの意見や質問ととも
に述べたいと思います。
1 防護の最適化に用いる参考レベルについて
(1) 緊急時の参考レベルをもっと低く設定して時期も明確にしてください
① 改定では、緊急被ばく状況で ≤100mSvと示されています。
緊急被ばくについては,「明確な移行点は存在しないであろう、線量率の急激な変化、きわめて高い 被ばくの可能性、重篤な確定的影響をもたらす可能性がある被ばく、
または被ばく線源もしくは放出の制御喪失である」などと述べらえていますが、≤100mSv累積として、/1か月なのか、/3か月なのか、/1年なのかにより、被ばく限度量や影響は
かなり違うのではないでしょうか。
そしていくら緊急被ばく時とはいえ、100mSv は高すぎる基準ではないでしょうか。
特に子どもや妊婦、妊娠可能な女性などは影響を懸念して、耐えられない数値だと考えます。
緊急時でも基準や参考レベルはもっと低く設定すべきではないでしょうか。
期間も「初期の参考レベルは短期間に適用可能であり、一般的に1年を超えるべきではない」と書かれていますが、管理できないと突き放すことなく、例えば「放射性物質の
大量放出が収まるまで」「冷温停止になるまで」「おおむね1か月間」などと明確にしていただきたいです。
(2)現存被ばく状況においても目安の期間を設定してください。できるだけ参考レベルを低く設定してください
① 現存被ばく状況において、20mSv/yearから10mSv/yearに引き下げられることは望ましいことです。
長期的に1mSv/yearにしていくことは重要だと思います。
それが、できるだけ早く達成されるように目安期間を設けてください。
② また20mSvで避難解除されていますが、実際に避難解除区域に戻っているのは老人が多く、若い世代や子供を持つ家庭の多くは帰還していないという事実を知ってください。
その理由としては、「インフラ整備が十分でない」「避難先で新しいコミュニティーに慣れた」という理由があげられてれていますが、本当の理由は「空間線量が高過ぎて子
どもの健康影響が心配」「再度放射性物質が放出される事故や避難生活を二度と経験したくない」という方々が多いという事実を、現場から報告しておきます。
(3)子ども妊娠婦も妊娠可能な女性も同じ参考レベルですか?それらを他よりも低く設定すべきではないでしょうか
① 子どもや妊婦妊娠可能な女性など放射線の影響が大きいといわれている者が、そこに防護も除染もなく放射性物質の汚染前の様に普通に住まわされたことは、
物凄い精神的苦痛でありました。
東電福島原発事故時に、福島市は避難指示区域にはなりませんでしたが、最大で24μSv/h が観測されました。
我が家もHORIBA Radiなどで測定したところ、家の中でも0.6μSv/h~1.2μSv/hが測定されました。
事故前は0.06μSv/hでした。我が家は事故後に放射線管理区域0.6μSv/hよりも空間線量が上回ってしまいました。
それまでの公衆被ばく量は1mSv/yearに満たなかったのに、大きく超える水準でした。
何のメリットもない無用な被ばくであるのに、5~10mSv/year以上となったのです。これは放射線従事者よりも高い数値で労働災害が認定されたレベルです。
いくら事故後だからといって、それまでの放射線管理区域よりも高い場所、放射線従事者よりも高い被ばく量など受け入れることはできませんし耐えられませんでした。
② 福島市や郡山市など避難指示がされなかった市で「自主避難(jisyu hi na n)」と言われる避難を選択した人々が多くいました。
この「事故後に高くなった放射線量の中で暮らすリスク」と、「自宅から離れた避難先に家族が離れて暮らすリスク」や「社会的経済的リスク」を比較して、
それでもなお「自主避難」を選んだということです。
健康影響も精神的影響も含めて、その被ばく量を受け入れられなかった人々がかなりいたという結果だという事実を知ってください。
2 十分に被ばく防護がなされなかったことについて
(1) 原発事故の緊急被ばく時、現存被ばく時における、当局の明確な基準値や法整備、危機管理対応計画についての勧告をもっと行ってください
① ICRP勧告は「被ばく防護」に関して重要なことが書かれています。
しかし、今回の東電福島原発事故においてはその勧告が十分に生かされ住民の被ばく防護がなされたかというと、十分ではありませんでした。
それを残念に思います。
何のための、誰のための勧告なのでしょうか。ICRPの役割とは何なのでしょうか。
公衆がもっと被ばくから守られるように、被ばく防護が十分に行われるよう強く勧告して欲しいです。
② 今回の東電福島原発事故時やその後に、どの程度の被ばく量なのかも知らされずに、十分な放射線防護もされぬまま初期被ばくをさせられました。
その事実は大変に残酷で、後悔しきれないことです。
そのことで、特に子どもを持つ親は、子どもの健康影響を一生涯心配し続けることになってしまいました。
③ 県内で事故直後に行われた体表面のスクリーニングも、13,000cpmであったものが、100,000cpmに引き上げられたという事実もありました。
寒い中体を除染するお湯や水不足と、バックグラウンドレベルの上昇などの理由だったと聞きました。
測定された人々の数が少なかったことはその後に被ばく量推定をする上でも大失敗でした。
④ 安定ヨウ素剤も、県庁など自治体に用意はされていたのに、配付や服用指示が手くなされなかったことも残念でなりません。
放射線防護のチャンスを生かせなかったことはその危機管理計画や手順や法整備が整っていなかったことが、大きな原因なのではないでしょうか。
⑤ 「自主避難」した人々も、もし家族内で避難の基準値が違ったとして例えば子供や母親だけが避難となった場合にも、法整備がされていれば、「自己責任」ではなく被ばく
防護が正当になされて、行政の援助が受けられたことでしょう。
⑥ 基準値は、事故後に暮らしていく居住空間の空間線量、除染の基準にも影響を及ぼします。
我が家庭の土を測定したところ30,000bq/kgありました。部分的に2μSv/hを超えるところもありました。
福島市の除染計画により除染が進められましたが、初めは私たちの望む事故前の空間線量になるまで除染するという希望は聞き入れられませんでした。
行政はもっと高い基準でも受け入れることを要求してきました。
このことをもっても基準値や許容量は汚染された地域で長期に暮らしていく上でも防護の最適化を図る上でも大変重要なものです。
できるだけ低い数値の設定を本来なら事故前の数値に戻していくことが「復旧・復興」なのですから。
もし今回の原発事故後の基準値が、防護しながら暮らしていく住民にとって納得できるものであればよかったのですが、「事故だから緊急時だから」と「一気に引き上げら
れた基準値による無駄な利益の無い被ばく」を無理やり押しつけられても、容認して耐えることはとても難しかったです。
そのためにも、明確な基準を示していただきたいと思います。
3 被ばく防護しながら暮らす人々の苦悩についての報告
(1)放射線防護をしながら暮らす人々への誹謗中傷について
福島で暮らしていく上で、ALARAの原則に基づき、「合理的に達成可能な限り低く」を個人でも取り入れて暮らしてきました。
しかも費用も「自己責任」においてです。行政からの支援は個人積算を測定するためのガラスバッチを配られた程度で、他には特にありませんでした。
そして世間ではなにが起きていたかというと、放射線防護をしながら暮らしている人々へのSNS上などの「いじめ(i ji me)」です。
「安心・安全だから防護して暮らす必要はない」「その程度の放射線量を気にしているのは放射脳(hou sya no )というメンタルの病気だ」 という、誹謗中傷です。
それはもしかしたら、原発事故により住んでいるところが汚染された事実があるのにその被害を小さく見せたりなかったことにしたい人々がいたのかもしれません。
そういう圧力にも耐えながら暮らしていた多くの人々がいるという事実を知ってください。
(2)被ばくを避ける権利について
WHOでは健康の定義を「Health is a state of complete physical,mental annd social well ‐being and not merely the absence of disease or infirmity」としています。
日本国憲法の生存権は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっています。
放射性物質に汚染された土地で除染もせずに暮らしていた時期には、私は「健康で文化的な最低限度の生活を保証されていない」と思っていました。
国連人権理事会も福島の帰還政策に苦言を呈しています。それは「避難解除基準を20mSv/yから年間1mSv/yへ引き下げること」についてです。
これらのことについて、ICRP勧告はどのようにお考えなのでしょうか。
4 県内の人々の分断について
先に述べたように、避難指示が出された区域とそうでない区域があったことにより、避難指示が出されなかった区域ではその放射線量に納得できない人々が「自主避難(jisyu
hi nan)」をしたり「子供だけ避難」や「母子避難(bosi hi nan)」をしました。
そのことについて避難しなかった人々、避難したかったが経済的・社会的など様々な理由で避難できなかった人々が、自主避難した人々を「あの人は逃げた卑怯な狡い人だ」
「自分たちは避難しないで頑張ってきたのに、避難した人はそれに協力しなかった悪い人だ」というような感情的な分断が生まれてしまいました。
このことについて誰が悪いのでしょうか。
原発事故と避難指示区域分けが生んだ悲劇です。
また経済的な分断も生まれました。
避難指示区域の人々を、避難区域ではない人々が受け入れて復興に尽力してきました。
ところが避難指示区域の人々には十分な賠償金が出ましたが、避難指示区域外の人々には十分ではありませんでした。そこに複雑な感情が生まれてしまいました。
これも原発事故と避難指示区分けなどが生んだ悲劇かと思います。
おわりに
あの原発事故から8年と7か月が経ちました。
5年目を過ぎる頃から除染も進み次第に空間線量も下がってきました。
農作物や食品の放射性物質も生産者の努力により検出されないものが多くなりました。
事故直後は外遊びが制限され不自由で不安な生活を強いられていた子供たちも、今はほぼ平常通りに暮らしています。
しかし若者の不登校や自殺の増加のニュースを聞くと心が痛みます。
あの震災原発事故を経験した子供たちのメンタルヘルスケアは十分に行われたのか、今どんな思いで過ごしているのかがとても気になります。
除染していない山林や、汚染土処理問題、汚染水問題、遠い廃炉への道のり、風評被害、県民健康調査甲状腺検査結果、肥満や生活習慣病の増加など、まだまだ課題は多く復興
途中にあります。
復興には長い年月がかかることでしょう。
我が家の目の前にそびえる小さな「信夫山(shinobu yama))」は、柚子(yu zu)の実る北限です。
とても良い香りの柚子が実り、その山やその公園では子供たちが歓声を上げて遊んでいました。
今まだ柚子は出荷制限がかかっており、山は除染されていないのでフィールドワークなども再開されていません。
原発事故の後からずっと、目の前にあるのに何かを失ってしまったという「あいまいな喪失感」があります。
そしてあの原発事故・放射能漏れ事故が無かったらどんなによかったかと思わずにいられません。
それでも、緑あふれる空気のきれいな果物のおいしい福島が、元に戻ることを信じて、一歩一歩前に進みながら暮らしています。
読んでいただきありがとうございました。