Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident


Draft document: Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident
Submitted by 服部賢治(Kenji Hattori), 東京電力福島第一原子力発電所事故による一被災者
Commenting as an individual

パブリックコメントの募集、受付を感謝します。私だけでなく、寄せられたコメントについての真摯な検討がなされることを願っています。

大規模な原子力事故が発生した場合、放流出した大量の人工放射性物質から住民への被ばくを遠ざける放射線防護は、事故収束と同時に最優先で取り組まれるべき重要課題であると認識しています。しかしながら、1986年のチェルノブイリ、2011年のフクシマの事例を顧みるまでもなく、事故後の非常に混乱した状況下において、避難か、屋内退避か、という判断・選択を検討したり、考慮する、ということはあったとしても、10mSVや20ⅿSVから100ⅿSV、という微細な範囲内で、何万、何十万人を越える住民の放射線防護政策を左右するような、今回計画されている勧告自体が無意味なことであること。また、個々人への医療被曝を除き、年間1ⅿSV以内に人為的な放射線被ばくをとどめるべき、という一般公衆への許容限度を超える被ばくを強いる事態につながる改定案は容認できないことから、以下、コメントを寄せたい。 

福島原発事故後の日本政府や国、地方自治体による住民への防護体制について、事故以前に、住民への体表・甲状腺スクリーニング、安定ヨウ素剤服用などの諸対策が計画・策定されていたにもかかわらず、実際は混乱に陥り、当初の計画通りに機能しなかった。それどころか、同時に、メディアを通して、「ただちに健康に影響はない」という枝野官房長官(2011年当時)のコメントが繰り返し放送され、不必要な放射線被ばくを可能な限り低減する、という放射線防護の基本原則は遵守されなかった。福島県内では、事故直後の3月19日以降、県が採用した放射線アドバイザーが100mSV/年以下なら健康への影響はない、普段通りに生活してもよい、と放射線被ばくへの警戒を解くような講演活動が行われ、住民の中にはその内容を信じた方も少なくなかった。

その結果、福島県に隣接して私が居住する宮城県内だけでなく、福島県内、たとえば、中通り(福島市、二本松市、郡山市etc)と呼ばれる地域に居住していた住民ですら放射線被ばくを避けることの必要性、認識を有することができなかった。その結果、自主的な避難を選択した少数を除き、避難指示区域外の住民の大部分は、放射能プルームが漂っていた事故初期、特に3月いっぱい、給水や買い出し、野外での片付けなど何の防護もせずに過ごし平常では考えられない被ばくを避けることができなかった。

そもそも、2019年9月9日に東京都に隣接する千葉県内に上陸、通過した台風15号(ファクサイ/FAXAI)による影響から、数日間過ぎているにもかかわらず、現時点においても、千葉県内では未だに停電している地域がある。私自身も被災した東日本大震災によってもそうであったが、私の住居だけでなく、広範囲にわたり、数日間、大規模な停電が発生していた。単に停電している、だけでなく、水道やガスなどをはじめとする社会的インフラが大きなダメージを受けていた。その上、空港や高速道路などの交通に関するインフラにも大きな被害があった。こういった大地震や大津波、大規模な自然現象に見舞われた場合、発災初期の数日間、救援、救助にかけつけることすら困難な状況が発生するのが大規模災害であり、複合的な災害の顕著な特徴である。

そのような混乱した状況における複合的な原発事故、もしくは単独での大規模な原発事故にかかわらず、放射能による汚染度合い、住民への被ばく線量を細やかに計算、算出する以前に、点在する住民集落など、広域なエリアをカバーし、正確な放射線量測定やコミュニティー内での情報共有をリアルタイムで行うこと自体が困難に陥ることは想像に難くない。

その上で、20ⅿSV~100ⅿSVなどという曖昧なレンジについて、被災した住民被ばくの積算線量をコントロールできるかのような論調で議論や検討が進められていることを懸念している。上記で述べたように、チェルノブイリ、フクシマ、とりわけ、緊急時や事故当初の急性期には、被災した住民全ての被ばく量のコントロールという発想自体が現実性のない、非常に懐疑的な発想、非現実的な検討でしかないことを指摘しておきたい。

最後に、私の願望を伝えたい。

追加許容線量限度の年間1mSVという原則はいかなる状況であっても遵守するような改定案こそ望ましい。

これまでの1mSV/年を超える住民への被ばくを許容することにつながる改定ではなく、むしろ、一般公衆への被ばく線量を厳しく制限、遵守する勧告へ見直すことこそ、原発事故により塗炭の苦しみにあえぐ多数の被災者や住民、そして、原発が立地している世界各国の住民にとって、ICRPの存在意義がより評価され、高い信頼性を獲得できるであろうと私は信じ、期待している。

原発事故に被災した方々をはじめとする人々(被害当事者や、大規模事故により影響を受ける可能性のある当事者)が放射線防護に関する意思決定プロセスに参加できることが妨げられない、崇高な対応がなされることをあわせて希望する。

以上

 

 


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