原子力発電所の大事故(a large nuclear accident)後の放射線防護の勧告案を策定する際に、チェルノブイリと福島の原発事故後の実際について検証し、そこから教訓を得ることがきわめて重要である。ところが、今回の草案(Draft)を読むと、とくに福島の実際についてしっかりと把握できておらず、誤認や誤解、見るべきところを見ないままにしておくなど、まったくもって不十分である。したがって、新たな勧告(既存の勧告の改訂)を出す前に、まずチェルノブイリや福島の検証をやり直すべきである。よって、現時点では、新たな勧告(既存の勧告の改訂)を出すのは延期すべきである。仮に、何らかの勧告を出すとしても、過去の経験の検証のやり直しを直ちに行うことを断ったうえで、既存の勧告に見られる問題点や課題を整理して、提示することにとどめるべきである。
ステークホルダーの関与の重要性を述べているが、過去はどうだったのか、そこにどんな問題点があったのかについての反省がなされていない。チェルノブイリや福島の原発事故後の汚染地住民の活動として、ベラルーシでのETHOSや福島のエートスを目立った事例として取り上げているが、ベラルーシのETHOSの場合、その中心的メンバーが後にICRPの委員となり、ICRP Publ. 111の作成の中心となったり、福島の場合もICRPの委員が深く関与した活動であった。すなわち、ICRP委員の関わった内輪の活動を取り上げるというかなり偏った事例紹介になっている。それらの活動事例に対して、社会科学の研究の立場から、批判的に考察した研究論文がある。ベラルーシのETHOSに関しては、トプシュの論文 [1]、福島のエートスに関しては、キムラの論文 [2]がある。このような社会科学的研究を検証に取り入れて、議論を一からやり直すべきである。
そこで、これまでのICRPの諸勧告の内容にはどのような問題をはらんでいたか、それらは各国・地域でどのように受け容れられ、利用されてきたのか、あるいはじゅうぶんには利用されてこなかったのか、歴史的にきちんと検証すべきである。
上に述べたいくつもの検証作業には、従来のようにICRPやその関連機関のメンバーを内輪とする狭いサークルに閉じこもった内部での検討にとどめることなく、オープンに批判を受け止め、社会科学を含めた、異なる見解をもった人々を加え、大幅に広げたメンバーによる検証作業とすべきである。かつて、放射線防護の世界の重鎮であるテイラー(Lauriston Taylor)は、「放射線防護は単なる科学の問題ではない。それは哲学、道徳観、そして最善の見識の問題である」と述べた。ICRPは、放射線関連の科学者を委員として集めるばかりでは、テイラーの言を受けとめていないと見られてしまうだろう。
そうした検証作業を実行し、過去の反省を生かすことができないようであれば、ICRPは既存の組織を解体し、メンバーも一新して、真の放射線防護に資する新たな組織を再構築すべきだと考える。
[1] Sezin Topçu, "Chernobyl Empowerment? Exporting 'Participatory Governance' to Contaminated Territories," in Soraya Boudia and Nathalie Jas (eds.), Toxicants, Health and Regulation since 1945 (London: Pickering & Chatto, 2013), pp. 135-158.
[2] Aya H. Kimura, "Fukushima ETHOS: Post-Disaster Risk Communication, Affect, and Shifting Risk," Science as Culture, Vol. 27 (2018), pp. 98-117.
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